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東京都小平市 絵画造形「アトリエことこと」

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カテゴリ:短歌( 6 )

短歌集『父の想い出』ラスト!

短歌集『父の想い出』の残りのページを掲載します。

もうここまでくると、完全に短歌とは関係ありません(笑)!
ここ数年かけて、自分の中で溜まっていた何かを、一気に言葉を使って吐き出した状態です。

だから、この短歌集ができたときは、かなりスッキリしました。精神的にも。

たまったら出す。発散する。

大事ですね。何事も。



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《最近考えていること、その1》

 ユーモアがある人はどこかすっとぼけてて適度にぬけてて、でも実は賢いところがカッコいいなと私は憧れ好きだなぁと思う。そしてつくづく私は中途半端だなと落ち込む、少し。決してマジメな部類ではないし、かといってある分野で超越しているわけでもなく、ごく普通の人間で、でも普通ということばは嫌いじゃないし、むしろ普通はすばらしい! 普通でいられるなんて幸せなことだ! と思う方なので、まぁいいとする。ただ何か表現したいという想いとそのエネルギーは結構あるかもしれない。しかも最近は単なる自己満足ではなく、できれば世の中のため他人のために何かできたらなぁと偉そうに思うこともある。
 すごい人というのはどんな分野でも芸術=美という域まで極めていて憧れる。私はなかなかそこまではいかないけれど、その過程でそれに近いものはあると感じるから、やはり常に何かに熱中していたいと思う。などどあれこれ考えつつ、結局はよくわからないけど面白いからいいじゃんという人に私はなりたいのかもしれない。




《最近考えていること、その2》

 石川啄木は、悟りとは、“いつでも平気で死ねることだ”と思っていたのは誤解で、逆に“如何なる場合にも平気で生きて居る事であった”といっている。その通りだと思った。
この如何なる場合というのが問題で、もし事件・事故・病気・災害などで、子どもや夫を失ったら? もし視力、聴力を失ったら? もし歩けなくなったら? 介護してもらう身になったら? それでも私は平気で生きていられるだろうか? 想像するのも怖いけど、想像せずにはいられない。
 私の人生、長いか短いか分からないけど、どちらにしても、生ある限り辛くても前を向いて生きなきゃね。できれば面白可笑しく、と自分にいい聞かせ、そんな時こそ、「ケセラセラ」のおまじない。なるようになるさ。
 きっと、自分の中にユーモアがあれば、軽やかに「ケセラセラ」といえるのだと思う。

《最近の親子の会話1》

あかり「ママ もーもー」
ママ「ママはうしではありません」

あかり「パパ はなくそ」
パパ「パパははなくそではありません」


《最近の親子の会話2》

あかり「びずにーらんどにいきたい」
ママ「えっ ディズニーランド知ってるの?」
あかり「うん かんがえた」



私は10年近くディズニーランドへ行っていない。
もちろん娘たちは一度も行ったことがない。
家で話題にすることもなかったはずなのに、なぜかディズニーランドの存在を知っていた長女。おそるべし!


《あかりのすごい一言》

「うわーきれい。このがくふバラのはなみたい」


私がピアノで『花の歌』の楽譜を見ながら弾いているときの一言。
まだ楽譜どころか字も読めないけれど、感覚で分かるのだろうか。
「美しい音楽は譜面(ふづら)も美しい」という千住明さんの言葉を想い出した。


《ちひろのおしゃべり》

「ばばばばばばぁー」    →やぁ!
「ぱい? ぱい?」     →おっぱいちょうだい
「まんま! まんま!」   →ママまたは誰かを呼ぶときに
「ひぃ〜ひぃ〜ひぃ〜」   →抱っこしてよ〜
「ん〜?」「ん〜?」    →どうしたの? なになに?
「あ〜わぁわぁわぁわぁわ」 →口に手を当てて遊ぶときに

※ちひろのおしゃべりは一例です。実際はもっと複雑な発音で、意味も時と場合により異なります。




《あとがき》

 今回、ふとしたことがきっかけで、短歌を作ってみようと思い立った。以前、母が川柳を作った時はすごいなぁと感心するだけで、まさか自分が作るとは思っていなかったが、いざ作り始めると面白い。日頃ぐるぐる考えていたことを五七五七七の短歌にすることで、自分の頭と心の中のモヤモヤが整理され、また新たな気持ちでいろいろなことを感じられるようになった気がする。常々、何気ない幸せ、小さな気付きを、刻むように生きたいと思っていたので、短歌という表現ツールが自分の中に一つ増えて嬉しい。作っていくうちに、徐々に自分の稚拙さも感じるようになり、言葉の引き出しの少なさが歯がゆいけれど、それもご愛嬌か。
 父の想い出を一つ一つ詠む作業も、今だからできるのだと思った。今やらなければとも思った。元気なうちに伝えたいと。父とは、男親と娘だからか、ある一定の距離を保って育ったので、俯瞰、傍観できる部分が多かった。
 そのうち、母の歌にも挑戦したいと思っている。


父の日に寄せて
二00八年(平成二〇年)六月  佐々木ひで美
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by atelier-kotokoto | 2008-10-06 21:09 | 短歌

短歌集『父の想い出』のおまけ

このブログを始めて、この短歌のページも読んでくださっている方がいるということで、短歌集『父の想い出』のおまけの部分も載せてしまいます。

こちらは、五七五七七におさめることよりも、自分のその時の気持ちや勢いをそのまま詠っている歌が多いです。「自由短歌」という部類に入るのかな? 
また、詳しい解説を書いてないないので、個人的なことなどは、私のことをよく知っている人でないと分からないかもしれません。あしからず。

あと、 《私がやりたかったこと。俵万智について》と、《詩》も載せてあります。

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《自由短歌》※現代短歌風または自由律詩または単なる散文か


★ 図に乗ってこれはいけると熱くなり あとでやっぱり気のせいと意気消沈する

★ のぼっておちてのぼっておちてのくりかえしでまたのぼる私


どちらの歌も自分のことです。夫によく「熱しやすく冷めやすい」といわれます。



★ 四月までは日舞だった五月は短歌だった 思いかけず頭ん中

初めての日舞の発表会が、2008年4月に行われました。そのため、3ヶ月間くらいは寝ても冷めても踊っていました。その後、短歌に目覚めてからは、頭の中は短歌ばかり。。。ちなみに今は『アトリエことこと』が占めています。



★ 混んでるから隣の部屋に移動したらしたで今度はそこに家族が集まり狭くなる

1人になりたくて部屋を移動するのですが、なぜか皆ついてくるんですよね。




★ 食後早々「濃い茶で渋茶!」とせわしなく響く父の声 吉田家の食卓


★ 父にミルクあるかと聞かれハッとするブラックコーヒーに慣れていた私

実家の父は、お茶といえば「濃い茶で渋茶」。コーヒーといえばクリープ2個を入れます。



★ 華やかで賑やかな女3対男1の家族の図 父は幸せだったか 少し孤独だったか


私も妹も実家にいた頃、ときどき父は肩身が狭そうでした。




★ そろそろ頭を日舞モードに切り替えねば。明日は稽古日 花笠音頭いい日旅立ち藤の花

短歌漬けの頃、頭の切り替えが大変でした。




★ 子の頬にみとれ眼にみとれ鼻と口にもみとれ、おもわずキスするとき、母を想い出す



★ 乳首をつまみねじりひっぱりおし手のひらを動かし転がしながら、もう一方のおっぱいを飲む子



★ 「O車殿O断者2・5注意」と親切に書かれた手作り看板の前で信号待ちをするのが四月からの日課となる

これは「おくるまどの おうだんしゃに ごちゅうい」と読みます。
今年春から、長女が幼稚園に入り、最初の2ヶ月だけ自転車通園していました。
いつも待つ交差点に、このちょっと面白い看板がありました。




★ 子どもが危なくないようにと取り付けた台所の前の柵を、自分で開けて入り自分で締める律儀な次女



★ 夜8時に寝て朝7時に起きたのに眠い眠いとぐずる長女に振り回される朝



★ 「お母ちゃん」と妻を呼ぶ父と「この人は私のお父さんじゃない」という母


男の人は、妻を自分の母親と重ね合わせるものなのでしょうか?




★ 子を付き添わせ歯科医へ行く「ちゃんと歯を磨かないとママのようになるよ」

親である私が治療台に乗り、その傍らで私が治療される様子を見ている我が子の図です。ちょっと情けない。。。





《私がやりたかったこと。俵万智について》

 あっ今のこの感じ、という何とも掴みようもない一瞬の空気、記憶に刻みたいのに悲しいかな、すぐ忘れてしまう儚い感動を、巧みに歌にしてしまう俵万智のすごさ、短歌のすごさ。彼女に嫉妬するのはお門違いだけど、『プーさんの鼻』のあとがき(下記抜粋)に、自分もそうそうと納得する。

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 子どもは、大げさでなく、一日一に変化してゆく。その存在に振り回される日々のなかで、なんとか自分の心を、言葉で追いかけてきた。
 たぶん短歌でなかったら、できなかった、と思う。子育ては驚きと慣れの連続だ。一度慣れてしまったら、はじめの驚きの感覚は失われてしまう。それはそうでなかったら、前へは進めないわけで、子どもが歩くことに毎朝感動している親はいないだろう。だからこそはじめの一歩の驚きを、逃さずに三十一文字に刻みたい、と思った。短い言葉ならではの反射神経が、役に立った。
 子どもの歌、恋の歌、家族の歌……。短歌は、私のなかから生まれるのではない、私と愛しい人との間に生まれるのだ。

 絵や写真に留めるのともちょっと違う、短歌ならではの妙。短歌の存在を知ったことで、私がやりたかったことに一歩近づいた気がする。

★ おむつ替えおっぱいをやり寝かせ抱く 母が私にしてくれたこと
★ 泣くという音楽がある みどりごをギターのように今日も抱えて
★ 親子という言葉見るとき子ではなく親の側なる自分に気づく
★ 眠りつつ時おり苦い顔をする そうだ世界は少し苦いぞ
★ おさなごの指を押さえてこの淡き小さき世界のふち切り落とす
★ ぴったりと抱いてやるなり寝入りばなジグゾーパズルのピースのように
俵万智『プーさんの鼻』より

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《詩》 ※短歌には収まらなかったので、詩も書いてみました。




待つ



熱しやすく冷めやすい性格なのか
広く浅いままでいいのか
私は彷徨っているのか
それが良いのか悪いのか

わからないけど真実は、答えは
すぐそこに、手を伸ばせば届くところに
ある気がする

私の身の回りに
毎日の生活の中に
私の中に


焦る必要はないし焦っても仕方ない
ぽたぽたと私の中にしずくが落ちて、
溜まり、コップから水が溢れ出るまで

待てばいい
静かに耳を澄ませばいい

よく働き
よく食べ
よく寝て
よく笑いながら


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上記の「待つ」という詩は、『アトリエことこと』を立ち上げる前のもので、自分で絵画造形教室をひらくなんて、全く考えていなかった頃です。

ただ、ここ数年、いままで自分がやってきたことを活かせて、自分が今熱中できること、そして将来に繋がることをずっと探していました。

話は少々飛びます。

絵を描くことに一番夢中になっていた高校生の頃は、美大でなく芸大(東京芸術大学)に入ることを目標にしていました。トップを目指したい! と思ったんですね。
おかげで脱毛症になりました。

また武蔵野美術大学では、絵ではなく、競技ダンス(社交ダンス)にはまり、プロダンサーになりたい! とまで思いました。

その後、某出版社に入り、ダンス雑誌を作っていた頃は、編集が私の天職だ! 心から思いました。

そうそう、ダンスといえば、フラメンコ、サルサにもどっぷりはまっていた時期があります。アルゼンチンタンゴにも憧れました。
最近でいえば、パン作り、日舞、短歌でしょうか。これらは何とか継続しているものと、していないものがありますが。


やはり熱しやすいのでしょうか?
たぶん、そうだと思います。
そのかわり自分の実力というか、身の程を知るのも早いです。
どの分野にも上には上がいることがわかると、急にガクンと落ち込んだりします。



その点、最近はそれなりに歳をとってきたからでしょうか、「別にヘタだっていいじゃない」とか、「才能なくたって、好きで続ければいいじゃない」と開き直れるようになってきたと思います。

時に、「私は何をやっても中途半端だ」と落ち込んだり、「早く仕事に復帰しなくちゃ」と焦った時期もありましたが、そろそろ自分でも何かできそうな時期にきている、と感じていたのだと思います。

それらが『アトリエことこと』という形で実現しつつあるのかもしれません。

将来、絵画造形教室『アトリエことこと』がどのように発展しているか。
今はまったく分からないけれど、やはり「今」を大切に、一日一日過ごしていきたいと思っています。


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by atelier-kotokoto | 2008-10-06 17:22 | 短歌

短歌集『父の想い出』より「つれづれ短歌」

短歌集『父の想い出』の中の、父への短歌は終わりで、次は私の日々の生活で感じたことを詠った「つれづれ短歌」を掲載します。

短歌初心者で、我ながらもどかしく、本当につたなくて、人様に見せるのは恥ずかしいレベルです。でも自分で短歌を作るようになって、「短歌って面白い!」ということが分かりました。短歌ができたときの喜びは、絵を描いたとき、おどりを踊ったときなどと共通するものがあります。

絵手紙と一緒で、ヘタでもいい! ヘタで何が悪い! ヘタでも気持ちが伝わればいいんだよ! という勢いで、載せちゃいます。

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★幼な子が眺める世間はキラキラと 私の目には娘眩しい

1歳2ヶ月の次女。純粋で汚れをしらない美しい目で見る世間は、キラキラと希望に満ちているんだろうな。母親の私の目には、あなたの方が眩しく見えるよ。



★めでたいな 初バーガーに初電車 世の中すべて初だらけ

次女ちひろと一緒にいると、ハッとすることがよくある。初めての立っち、初めての一歩はもちろんのこと、生まれて初めてのマクドナルドに、初めての西武線と、いろんなものに「初」がつく。子どもと一緒にいると、お目出度いことだらけなので、同じ目線であやかりたいな。ふと、私にはこの先、一体いくつの「初めて」があるのだろうか? と思った。



★せつないよ ママがいいよと泣く娘 幼稚園でも涙ポロポロ


★真夜中におうちにかえると寝ぼけ泣く ここは家だと言い聞かせつつ


★泣いていい ただし約束日に一つ楽しいことを見つけてくれば

朝から門の前で涙をグッとこらえながら泣く日があれば、大声で「ママがいい!」といって脱走する日もあった。夜中はうなされ「ヤダヤダヤダ!かえりたい」と寝ぼけながら叫んでいた。入園して2ヶ月間は、親子で幼稚園生活に慣れるのに必死だったと思う。
 そんなあかりと、一つだけ約束した。「今日の楽しいかったことは?」の質問の答えは、大抵おやつ、お昼ご飯、絵の具(またはクレヨン)のどれかだ。「泣いてるとおやつとお弁当食べられないからねぇ」



★情けない誰に似たのか利かん坊 言えば言うほど小悪魔になり

長女は複雑な年頃なのか、性格の問題なのか、近ごろ扱いが難しくなってきた。うまくおだてれば、いうことを聞くのかもしれないが、怒った手前、そうコロコロと態度を変えるわけにもいかない。強く言えば言うほど、頑固にあまのじゃくになる娘。お互い引くに引けなくなり、情けないと思うことがしばしばだ。



★参観日 ちらり確認ママの顔 にやりと笑う照れ屋なあかり

★ダッダッダッダッばぁっ! 足音絶叫大音量
 小さな怪獣 チヒロザウルス

つくづく姉妹でも性格が違うなぁと思う。先に生まれたからか、後に生まれたからか。



★子育てに正解ないよと思いつつ これでいいのか自問自答

★甘えん坊 見守りうなずき抱っこする子どもを信じ自分を信じ

子育てについての様々な情報が溢れている。日本と海外でも違う。いろんな育て方があると思う。答えは一つじゃない。それでも「これでいいのかな」と不安になり、自問自答することが少なくない。
 自分で考え行動し、生きていける子に育ってほしい。でも実際は、まだまだ甘えん坊(可愛くいえば)の娘。「まずいな。どうしたらいいのだろう」と悩む時こそ、子どもをいつも以上によく観察すること、見守ること、「あなたはそれでいいんだよ」とうなずき受け入れること。抱きしめること。子どもを信じること。そして自分も信じることが大切だと思う。



★つるつるのすべすべふわふわ愛しいよ 時間よ止まれ 子とのひととき

日々新しい細胞が生まれている子どもたちの肌。全身を撫で回し、頬と頬をスリスリするのが、何よりの癒しだ。布団の上で悦び笑い転げる子どもたちとのスキンシップの時間は、最高のひとときだ。



★母の目をじっと見つめておっぱいを左で飲んで右でいじくる

★とろとろと夏に解けるか乳の魔法 大役終えるは少し淋し

姉妹喧嘩では泣かされ役のちひろだが、おっぱいに関しては負けていない。3歳を過ぎてもおっぱいに未練が残るあかりを手と足で権勢しつつ、我がもの顔で堪能する。長女は遠慮がちにおっぱいを触らせてもらう。授乳とういうのは当然のことながら父親にはできないことで、改めて母と子だけの親密な行為だったと思う。泣いていた子も嘘のように静かになるし、母子で夢見心地にとろとろと眠くなる。次女も今年の夏にはおっぱいを卒業するだろうな、と思うと少しだけ淋しい。



★目が点に 消えた急須を見つけたら靴下とゴミ詰め込まれてた

台所が大好きな子どもたち。特に次女は、あらゆる引き出しを開けて、中のものを引っ張りだすのが最近のブームだ。先日は急須が台所から消えていた。子ども部屋で見つけ、中を除いたら、子ども用の靴下一組と、レシートなどの紙ゴミが詰め込まれていた。



★「おやもりだ!」山盛りおかず 見つけたよ

「すごいねぇ! あーちゃんおやもりたべれます!」といって、多くよそってあるおかずの方を選ぶ長女。



★台所ひらいて閉じる小さな手 午後の木漏れ日掴もうとする

次女が小さな手でひらいて閉じてをくり返していたので、何をしているのかなと見ていると、台所の細長い窓から射し込む西日を、不思議な顔をして掴もうとしていた。そこへ長女がやってきて、床に映った光を見て「うわ〜、えーびーちーみたい」といって、指でなぞっていた。



★いつ穫るか、どう食べるかと一本のキュウリめぐって家族会議す

今年は近所の農家で50円のキュウリの苗を買った。プランター育ちにも関わらず、日に日に大きく色濃く立派に成長。豪快なキュウリの丸かじりに憧れつつ、結局は朝食とお弁当で少しずつ大切に食べることにした。



★「ママどうぞ」食べさすはずがいつの間に幼い我が子に食べさせられる

次女の口にスプーンを運んでいたはずが、気がづくと「あーん」と口を開けさせられていた。



★食べられないグリンピースのさやをむく豆を数えて微笑む娘

宮崎の伯母さんから夫の両親に送られてきた無農薬無肥料野菜を分けていただく。人参、玉ねぎ、ニンニク、青菜、日向夏、グリンピース。幼稚園から帰ったあかりに、グリンピースのさやむきを手伝ってもらった。豆ごはんは苦手だが、綺麗な緑色の丸っこい豆を数えながらむく作業は、面白いようだった。



★完熟のトマト姉妹で奪い合う赤い手と口じゅるじゅるにして

手づかみで豪快にトマトを食べるちひろを見て、あかりが刺激されたらしい。トマトを奪い合うようにして食べていた。トマトの汁でぐしゃぐしゃになった2人の手と口の周りが、何だか美味しそうに見えた。



★懐かしい 歯がないとこが 婆ちゃん似

ちひろに歯が生えていない頃、誰かに煮てるなと思ったら、入れ歯を外した秋田のおばあちゃんだった。



★朝食後「その顔やめて」子にズバリふくれっ面のママの顔真似

子どもは言う事を聞かないし、体調もいまいちで、珍しく(?)朝から不機嫌だった私。見かねた長女が「ママどうして変なお顔するの? こんな顔してるよ」といって、眉間に皺を寄せ、口を尖らした私の顔真似をした。



★潔い創造したら破壊する子の力作を惜しむは親だけ

「見て見て! ママのお顔描いたよ」と長女。あまりによい出来だったので、作品を写真に撮ろうとしたら、次の瞬間には消されてなくなっていた。



★幼稚園 子ども元気で 留守がいい

「タンスにゴン亭主元気で留守がいい」というCM。子どもが元気に幼稚園に行ってくれるとホッとする。
★我ながらよくぞ見つけた我が夫 感謝しつつも後回しかな

人生のパートナーに出会って今年で十年。人と人が出逢い、こうやって命は繋がっていくんだなぁと、ご先祖様がくれた縁を感じる今日この頃。今はお互いにすっかり子ども中心の生活になってしまったけど、もう少ししたら夫婦一緒の時間をもっと持とうね。



★子を乗せて踏切真ん中転倒す 体震えて懺悔の心

雨上がり、子ども二人を自転車の前後に乗せて重い荷物を背負い、踏切を渡ろうとしたら、線路に車輪がはまって転倒した。自分の力では自転車を起こすどころか、そのまま移動させることもできなかった。もし誰も助けてくれなかったら? もし車が突っ込んできたら?踏切が閉まって電車が来てしまったら? 想像しただけで体が震える。子どもに謝り、夫に懺悔した。



★事件事故病気地震は明日我が身 死を感じつつ生輝かす

最近ニュースで流れる痛ましい事件や事故。つい先日はミャンマーで大型サイクロンがあり、中国では大地震があった。自分に子どもが出来てから、どれも他人事には思えなくなった。今、私はかつてないほど幸せだ。朝目覚めて、その日一日、家族みんなが何事もなく過ごし、夜は布団でぐっすり寝ることができる。明日も当たり前のように、この生活ができるだろうか? 時々生きるのが怖いと感じる。特にこの一、二年は「死」と「生」について考えることが多くなった気がする。


★今日もまた新しい日が始まるよ 生きてることの奇跡を感じ

幼稚園の送り迎えが始まったのをきっかけに、四月から朝四時半過ぎに起きるようになった。前夜の食器洗いから始まり、洗濯、弁当&朝食作り、部屋の片付けをしているうちに、家族が起きてくる。子どもたちが寝ていると効率がよく、わずかでも自分一人の時間が持てることがうれしい。毎朝、新しい気持ちで一日をスタートさせたい。そして毎日とまではいかなくても、ときどきは、生きていることの奇跡を感じられる自分でいたいと思う。
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by atelier-kotokoto | 2008-08-23 01:06 | 短歌

短歌集『父の想い出』1

2008年の父の日に、短歌集を作ってプレゼントしました。
母には「最近、短歌に目覚めてちょっと作ってみてるの」というようなことは、少し伝えていたのですが、父には全く知らせていませんでした。
父は仕事で、直接手渡しはできなかったけど、照れくさいのでちょうど良かったかも。
目次はこんな感じです。↓
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<目 次>

………●父の想い出

………●つれづれ短歌

………●おまけ

       自由短歌
       私がやりたかったこと。俵万智について 
       詩
       最近考えていること
       最近の親子の会話
       あとがき
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父への短歌がメインですが、家族の思い出や、母のことを詠った歌もあります。
川柳らしきものや、詩、散文も混じっています。
ちょっと長いので、とりあえず、最初の「父の想い出」の前半より。

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★父の日に何を贈るか思案して秘かに紡ぐ父の想い出

例年のように、母の日のおまけでは申し訳ない。今年の父の日は、父がびっくりするような贈り物をしようと考え、私の中でひっそりと閉まってあった父の想い出の箱を開けてみることに。喜んでくれるかは分からないが、ことばを歌にして紡いでみようと思う。



★父さんの職業なにかと聞かれたが答えられない小五の私

小学生の頃、学校でお父さんの仕事を説明する時間があった。クラスの皆は問題なく答える中で、私はなかなか言葉が出ずに困った覚えがある。何とか「うちのお父さんは、ギターを弾く《ぎたりすと》で、一日おきに学校に泊まる《けいびいん》もしている」と言ったと思うが、うまく伝わらなかった。



★休日の父の仕事場体育館プールで遊ぶ子連れオオカミ

夏休みになると特別に、父の仕事場である小学校や中学校に、妹と遊びに連れて行ってもらった。誰もいない体育館でバスケットボールや卓球をしたり、葉っぱの浮いたプールを貸し切り状態で泳いだり。広々とした学校は、優越感と共に、少しの寂しさも感じられた。たまに仕事仲間(?)に会うと、父は決まって「今日は子連れオオカミですから」と言う。そのたびに「私はオオカミの子じゃないのにな」と思っていた。



★いつもそう父が作った夕飯は野菜炒めと魚の煮付け

「よーし! 今夜はオトウチャンが夕飯作るぞ。待ってろよ、美味いぞ〜」という日は、決まってたっぷりの野菜炒めと、つぶつぶの卵が入った魚の煮付けだった。ガシャンガシャンバンッなどと大きな音をたてながら、台所で豪快に作り始める父。魚の煮付けはあまり嬉しくなかったが、魚の白子など、母は決して出さないようなメニューが飛び出すこともあり、それはそれで面白かった。駅前市場と東武ストアも、よく買物に行っていて懐かしい。



★真っ赤か父の手作り弁当はケチャップ味の魚肉とイチゴ

いつだったか、父が私のお弁当を作ってくれた。開けてびっくり! 中はケチャップ味のキャベツ&魚肉ソーセージの炒め物と、デザートのイチゴ。ちょっと潰れて白くなったイチゴにまでケチャップが付いていて、父らしいお弁当だ。なんだか今も甘酸っぱい。



★夏休み家族引き連れ山登る父の姿はやけに頼もし

小学生くらいまで、年に1、2回の家族旅行といえば、山登りがほとんどで、山小屋に泊まって自炊することもあった。ゴツい登山靴を履き、一番大きくて重たいリュックを背負う父の姿は、都会にいるときと比べ、やけに男らしく格好良く見えた。それにしても、山で食べるカレーやインスタントラーメンは美味しかったなぁ。



★山雪で五月連休日焼けして肌の黒さが少し誇らし

家族旅行の中でも忘れられない思い出の一つ。ゴールデンウィーク中で地上は初夏の陽気だというのに、山の上の方には雪が残っていた。半袖姿でワクワクしながら白く眩しい雪の山道をしばらく歩いたと思う。連休明けに学校へ行くと、日焼けして鼻の頭の皮が剥けている私の顔を見て、クラスの皆が驚きうらやましがってくれた。



★旅行先 夫婦喧嘩は 風物詩

必ずといっていいほど、旅行へ行くと父と母が喧嘩する。大抵、父の一言が原因で母がムスーッと黙り続けるが、最終的には母が爆発して仲直り(?)するパターン。途中、姉妹で仲裁に入ろうとするも、空しさが募るばかり。子ども心に、よく喧嘩する夫婦だなと思った。



★給食で初めて触れたライチの実食べずに母に持ち帰った夏

給食で冷凍ライチが初めて出て、そのグロテスクな姿(当時はそう感じた)に驚いた。母の喜ぶ顔、びっくりする顔が見たくて、ドキドキしながら解けたライチを持ち帰った。
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by atelier-kotokoto | 2008-08-23 00:47 | 短歌

短歌集『父の想い出』2

一応説明すると、私の父はクラシックギターの弾き語りをやっています。

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★ ピアノ弾く私の後ろに父登場 ギター加わり即興ライブ

みずほ台の実家にいた頃、私がピアノを弾いていると、父がギターを弾きながら鼻歌まじりに曲に入ってくることがよくあった。特に、明るくリズミカルな曲の時に多かった気がする。「その曲いいね」とか、「今のところ、もう一回弾いて」といいながら、父と娘が自然に会話し、楽しめるひとときだったと思う。



★唐突に墨で書かれた茶封筒 父の気持ちに涙止まらず

美大に合格してすぐ、高校を卒業して家を出ることを決めた私。「家族からの卒業!」「ゼロからの出発!」と鼻息荒く、いざ、風呂なしトイレ共同の四畳半一間に移り住んだが、寂しくて心が締め付けられるような日も少なくなかった。そんな時、父から届いた突然の手紙。筆ペンで、荒々しくも堂々と大きな文字で書かれた茶封筒には、五千円だったか、一万円札だったかが入っていた。手紙には、「お姉ちゃんへ。ナイショでお小遣いあげる。美味しいものでも食べてね」とあった。私はふふっと笑って、そのあと涙が溢れて止まらなかった。今でも、思い出すだけで胸と目頭が熱くなる。



★「パパ似だね」丸顔だって悪くない今となっては褒め言葉かな

丸顔の私は、小さいころから《お父さん似》といわれてきた。妹はいわずもがな《お母さん似》。母は昔から《美人》で通ってきたので、父には悪いけど、母に似たかった。でも、今は愛嬌のある《お父さん似》もいいかなと思っている。



★呆れてた 嘘でも尊敬しろなんて 今なら分かる父の立場が

父は家族で言い合いをしていると、よく「おれはこの家の大黒柱なんだから尊敬しろ!」といっていた。そのたびに、何て子どもっぽいことをいうんだろう、本当に尊敬される人は自ら尊敬しろなんていわない、と呆れていた私。でも今は、少し理解できる気がする。



★分からない 単純なのに複雑だ 素直なんだか頑固なんだか

父は決して変態じゃないけど、ときどき変人(失礼!)だと思う。他人には理解できないことを言い行動して、母や周囲の人を困らせ振り回す。それでいて、とても純粋で素直で優しいところもあるから分からない。そこが面白い。「私のお父さん」という以上に、一人の人間として、世の中にはいろんな人がいることを教えてもらった気がする。あまり他人を気にしないところは、私も似ているかな。



★叩いてもびくともしない鉄の板 何背負ったか父の背中は

昔からあんまちゃ(按摩ちゃん?)が手放せないほど肩こり&首こりのひどい父。いつもフーッフーッと苦しそう。手で揉んだり叩いたりしても効果がないので、子どもの頃は、うつ伏せに寝る父の背中に登ってよく足踏みさせられた。どうしてこんなに鉄板のような背中になったのだろうか。



★聴きたいな 父から滲みでるような心にしみる素朴な唄を

必ず、パパは自分の音楽をもっともっと表現できると思う。信じているし、祈っています。飾りたてなくても、もうすでにパパから滲み出てくる味があると思うので、それをシンプルに出してほしい。どんな形であれ、そのことが長年連れ添ったママへの最高の贈り物になるだろうし、何より私もパパの心の奥に響く音楽を聴きたい。


★ありがとう 大事なものをもらったよ 生きてく力 楽しむ力

★ 言霊に願いを込めてケセラセラ
 かれんにさらり言ってみたいな

生きていく上で最も大切なものを、私はパパとママからもらった。人生には苦しいこと、悲しいことが沢山あるだろうけど、どんな状況になっても、その時々を精一杯生きていこうと思える、目に見えない力。楽しくないことでも面白いと思える力。以前何かに「賢い人とは、その人の能力をちゃんと活かしている人のこと」と書いてあった。それなら、私にもできると思った。
「ケセラセラ」は、スペイン語で「なんとかなるさ」の意味。今、自分ができることをやっていれば、なるようになるさ。なるようにしかならない、ともいう。「転ばない強さより、転んでも起き上がる強さがあればいい」と、ラジオで桐島かれんがいっていた。自分らしく自然体で、柔らかいけど芯のある女性になりたい。
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by atelier-kotokoto | 2008-08-23 00:47 | 短歌

短歌に目覚めてしまいました!?

今年の父の日に、な、なーんと『父の想い出』という短歌集を作ってプレゼントしてしまいました。

それまで短歌どころか、俳句と川柳の違いもよく分かっていなかったのに、ふとしたきっかけで作ってみたら、これが結構、今の私にはまり、1ヶ月くらい頭の中は五七五七七だらけに。

きっと溜まっていた何かがあったのでしょう。50首くらいでしょうか、ほとんど全部、短歌(散文や詩もあるけど)にして吐き出したので、今は短歌熱は冷めてしまいましたが、ちょこちょこっと今後も歌を詠んでいきたいなと思っています。


このページでは、私が詠んだ稚拙な短歌を、恥ずかしながら少しずつご紹介していきますね。


では、早速2首。


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全身で愛し求めてくる吾子を私は照らす太陽になり

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「おはよう」の挨拶代わりに吾子が泣き今日が始まる 静から動へ

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by atelier-kotokoto | 2008-08-04 07:45 | 短歌